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創業50周年
特設ページ
ご挨拶
代表取締役会長 藤居 秀三
当社が創業50周年を迎えるにあたり、一言ご挨拶申し上げます。
今日までご支援いただきましたお客様、お取引先様、行政機関の皆様、従業員の皆様、株主様に、あらためて厚く御礼申し上げます。
昭和40年代当時、日本は大量生産・大量消費の時代でした。環境関連は法整備が行き届いておらず、日本中がゴミで溢れていました。やがて廃棄物関連の法が整備され、産業廃棄物、一般廃棄物の許認可制度ができ、事業系廃棄物の処理は民間業者に委託されるようになります。
そんな折に、私が東京都豊島区要町の自宅から、中古トラック1台、従業員2名で廃棄物処理業を起業しました。これが株式会社要興業の始まりです。しばらくして、兄弟4名が集まり、それぞれ営業、業務、事務を分担して運営するようになります。やがて廃棄物処理とリサイクルが社会全体の重要なテーマになっていき、循環型社会を形成する方向へと国策が変化していきます。
バブル期の終わり頃より、当社は時代に合わせ、リサイクル工場に力を入れていきます。平成4年には、ビン・缶等の飲料容器の中間処理施設である千住リサイクルセンターを、他社に先駆けて立ち上げました。その後も会社は順調に発展し、御陰様で平成29年12月には、東京証券取引所市場 第二部上場を果たすことができました。令和4年3月末現在、当社グループの連結売上は約119億円、従業員数807名、収集運搬車両数450台を数えるまでになりました。
これからも経営理念に即し、環境保全と循環型社会に貢献すべく、邁進してまいります。
今後とも、なお一層のご指導ご厚情を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
2022年6月 吉日
代表取締役会長
藤居 秀三
50年のあゆみ
私は昭和47年、当社の前身となる「藤居商店」を創業しました。翌昭和48年に株式会社要興業を設立しました。創業当初の本社は、豊島区の要町にあった自宅でした。社名である要興業の由来はそこにあります。
創業前、私が19歳の頃(昭和39年)に東京オリンピックがありました。当時は高度経済成長期の中で、日本全体が発展し、東京にも様々な施設ができました。その中で人も増え、廃棄物もまた大量に増えました。
その頃は運送業が流行っており、私も自らトラックを運転して運送業を請け負っていました。そんな中でごみの片付けを依頼されたことがきっかけで、廃棄物を運搬するという活動、いわゆるごみ屋さんを始めました。
当時は廃棄物処理に関する許可制度もなく、法整備が遅れていました。東京都内のごみは満足に処理されているとはいえず、不法投棄だらけという印象でした。
そこで、廃棄物をトラックで運搬する事業者として、私と友人の3人で会社を設立しました。
やがて形が変わり、兄2人と姉1人の兄弟4人で会社を運営していくようになりました。
私が社長としてまとめ、兄2人は営業活動や運搬業務を、姉が経理や総務関係など事務全般を担当していました。まさに兄弟4人で力を合わせて作り上げてきた会社と言えます。
当時はちょうど第一次オイルショックが起こった時期で、石油の値段が大幅に値上がりしました。その影響で、スタンドで満足に給油できないこともありましたね。また、都内に焼却施設はほとんどなく、都内にある「夢の島」という埋立地や埼玉など都外の処分施設に都内のごみがいっている状況でした。
そんな中で、ひたすらごみを運搬しながら、自ら営業活動を積極的に行い、今に続く大口のお客様とのつながりもできました。トラックの駐車場や、業務の中心となる事務所は足立区に設置し、自宅兼本社と足立区の事務所を行ったり来たりする生活が続きました。
法律も徐々に整備されていき、産業廃棄物や一般廃棄物に関する業の許可制度が始まると、私たちもすぐに対応し、許可を取得しました。
会社としての形は徐々にできあがっていきました。足立区の事務所や車両基地を整備し、ドライバーを増やしました。仕事も車両も少しずつ増えていきました。バブル経済が始まると、都内には高層ビルが次々とできあがっていきます。そこでビルのオーナー企業様からお仕事をいただく機会も増え、当社は大きく発展していきます。
当社が成長できた理由のひとつは、多くのトラックを所有していたことです。運搬能力には自信がありました。またパッカー車をこの頃導入したのですが、同業他社と比べても早い動きだったと思います。最初は、今まで使っていたダンプ車の方が良いだろうと、あまり期待していなかったのですが、いざ試してみると大変優秀でした。ダンプ車よりも早く収集できる上、運搬量も多く、ドライバーの操作も楽です。思い切って導入を決定しました。
この頃には仕事の仕組みも大きく変わっていきました。事務所にはPCを導入しました。当時、大企業でも2人で1台程度しか導入していない中、複数台導入し、伝票の作成や表計算に活用しました。私自らも使いました。当時のPCは今のように薄くなく、かなり大型でしたね。
また、この頃から人員拡大や福利厚生に一層力を入れていきました。従業員がより満足できるように就業規則や賃金規定を整え、保険など普段見えない部分も整備しました。社員旅行や新年会などの社内行事もこの頃始めました。労働に見合うだけの報酬を得てもらい、かつ色々なイベントを行うことにより、社内の団結を高めることができました。最初は従業員数も少なく、新年会はこぢんまりとした会場で開催していましたが、現在はホテルにて数百人規模で開催しています。
年 | 当社のあゆみ | 社会の出来事 | |
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1970 | 昭和45年 | 12月 廃棄物処理法 公布 | |
1972 | 昭和47年 | 6月 藤居商店 豊島区要町にて創業(製紙原料売買他) | 2月 札幌オリンピック開催 |
1973 | 昭和48年 | 4月 株式会社要興業設立。資本金100万円 | 10月 第一次オイルショック |
1975 | 昭和50年 | 3月 東京都 産業廃棄物処理業許可取得 5月 川崎市・横浜市 産業廃棄物処理業許可取得 |
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1977 | 昭和52年 | 12月 東京都足立区鹿浜へ業務部移転 | |
1978 | 昭和53年 | 7月 東京都 一般廃棄物処理業許可取得 | 5月 成田国際空港開港 |
1979 | 昭和54年 | 1月 第二次オイルショック | |
1980 | 昭和55年 | 3月 東京都豊島区高松へ本社移転。資本金900万円に増資。 | |
1981 | 昭和56年 | 1月 埼玉県 産業廃棄物処理業許可取得 | |
1982 | 昭和57年 | 6月 千葉県 産業廃棄物処理業許可取得 | |
1986 | 昭和61年 | 6月 資本金2,262万円に増資 | 12月 バブル景気始まる |
1988 | 昭和63年 | 5月 資本金4,040万円に増資 |
平成に入ると、当社はリサイクルセンターを開設し、中間処理業にも進出していきます。きっかけは、千葉県の中間処理施設に行ったことでした。そこで見たのは、缶を圧縮して固めたものでした。当時、空き缶はリサイクルの仕組みが確立されていませんでした。この方式であれば、今まで処分していた空き缶をリサイクルに回すことができると考えました。そして、東京23区で他社に先駆けてビン・缶の中間処理施設を平成4年に開設しました。それが千住リサイクルセンターです。
リサイクルセンターの開設にあたって重要なのは、土地です。少ない機会を逃さないように、前々からアンテナを張っていました。もちろん土地を遊ばせてしまうリスクもありますが、仕掛けていかないと話は進みません。この時期は、自分の全財産を失ってもいい覚悟で土地を先に確保し、挑戦しましたね。
その後も当社は、中間処理施設を次々に開設させていきます。全て時代の要請でした。社会全体が、できるだけリサイクルしましょうという、循環型社会へと徐々に変化していきます。そういった中でお客様から営業に対して、こういったことができないかと、次々お話をいただくわけです。
ご要望にお応えし、紙や機密書類、発泡スチロールを扱う入谷リサイクルセンターや、粗大ごみを扱う鹿浜リサイクルセンターなど、新たな工場を開設していきます。また、医療系廃棄物や機密書類を専門に扱う運搬車両も導入します。もちろん、成功ばかりではありません。食品リサイクルの要望を多く受け、自社工場で食品リサイクル事業に挑戦しましたが、最終的には撤退することになります。現在では当社が出資している他社工場にて適切にリサイクルしています。当社のリサイクルセンターと事業内容の拡大に伴い、収集したものを自社工場に持っていき、できるだけリサイクルするという形に変わっていきました。
その結果、私たちの業務が社会全体のリサイクルにつながる状態になりました。
お客様や世の中の要望に対して、適切なタイミングで対応することができたと自負しております。
ここで、当社の経営理念をご紹介します。「環境保全と循環型社会に貢献する企業であること」です。その理念に則り、廃棄物処理法の情報をまとめた「東京の廃棄物処理とリサイクル」という小冊子を1996年に発行しました。発行当初は、当社のドライバーに廃棄物処理法を啓発するためのものでした。その後版数を重ね、最新版の第14版は、お客様の廃棄物管理をお助けするものとして提供しています。
その後も当社は順調に成長を続けました。ここ10数年で、自らの成長に加え、他社のM&Aや出資も行い、都内有数の廃棄物処理業者になりました。新鹿浜リサイクルセンターや板橋リサイクルセンターを新たに開設し、東京23区の自治体から不燃物のリサイクルを請け負うようになりました。一般家庭から排出される、従来は埋め立てられている不燃物を、徹底した選別によって資源化しています。
そして平成29年、東京証券取引所市場第二部への上場を果たすことができました。
年 | 当社のあゆみ | 社会の出来事 | |
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1989 | 平成1年 | 8月 千葉市・神奈川県 産業廃棄物処理業許可取得 | 1月 昭和天皇崩御、平成に改元 |
1990 | 平成2年 | 10月 東西ドイツ統一 | |
1991 | 平成3年 | 2月 東京都豊島区池袋へ本社移転 | 1月 湾岸戦争 4月 再生資源利用促進法 公布 10月 廃棄物処理法 改正(産業廃棄物処理業の許可更新制度の導入等) |
1992 | 平成4年 | 10月 資本金6,267万円に増資 11月 千住事業所/リサイクルセンター開設 12月 廃棄物再生事業者登録 東京都第1号 |
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1993 | 平成5年 | 12月 東京都 産業廃棄物処分業許可取得 | 9月 バーゼル条約 締結 11月 欧州連合(EU)発足 環境基本法 公布 |
1994 | 平成6年 | 売上高20億円を達成 | |
1995 | 平成7年 | 7月 東京都・埼玉県 特別管理産業廃棄物収集運搬業許可取得 | 1月 阪神・淡路大震災 6月 容器包装リサイクル法 公布 |
1996 | 平成8年 | 3月 資本金8,297万円に増資 | |
1997 | 平成9年 | 4月 入谷事業所/リサイクルセンター開設 6月 東京都豊島区池袋エヌエスビルへ本社移転 7月 資本金2億4,797万円に増資 9月 大森事業所/リサイクルセンター開設 |
6月 廃棄物処理法 改正(すべての産業廃棄物における産業廃棄物管理票の義務化) |
1998 | 平成10年 | 4月 足立支社移転 | 2月 長野オリンピック開催 6月 家電リサイクル法 公布 |
1999 | 平成11年 | 4~11月 栃木県・宇都宮市・茨城県・群馬県・長野市・新潟県・山梨県・長野県 産業廃棄物収集運搬業許可取得 | |
2000 | 平成12年 | 9月 鹿浜事業所/リサイクルセンター開設 | 5月 建設リサイクル法 公布 6月 循環型社会形成推進基本法 公布 食品リサイクル法 公布 |
2001 | 平成13年 | 3月 宇都宮市 特別管理産業廃棄物収集運搬業許可取得 5月 川崎市 特別管理産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
9月 アメリカで同時多発テロ事件 |
2002 | 平成14年 | 6月 ISO14001認証取得 | 7月 自動車リサイクル法 公布 |
2003 | 平成15年 | 7月 バイオエナジー株式会社設立に伴い、協業化を目的として出資 足立区 一般廃棄物処分業許可取得 |
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2004 | 平成16年 | 10月 新潟県中越地震 | |
2005 | 平成17年 | 売上高50億円を達成 | |
2007 | 平成19年 | 11月 ISO27001認証取得 | |
2008 | 平成20年 | 4月 新鹿浜事業所/リサイクルセンター開設 | 9月 リーマンショック発生 |
2010 | 平成22年 | 2月 東京都 優良評価制度「産廃エキスパート認定」取得 4月 城南島事業所/リサイクルセンター開設 |
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2011 | 平成23年 | 8月 「優良産廃処理業者認定」取得 (東京都 産業廃棄物処分業/産業廃棄物収集運搬業/特別管理産業廃棄物収集運搬業) |
3月 東日本大震災 |
2012 | 平成24年 | 8月 小型家電リサイクル法 公布 | |
2013 | 平成25年 | 6月 フロン排出抑制法 公布 | |
2015 | 平成27年 | 3月 株式会社ヨドセイを子会社化 | 9月 国連サミット「SDGs」採択 |
2016 | 平成28年 | 4月 熊本地震 | |
2017 | 平成29年 | 6月 協業化を目的として株式会社アルフォの株式を取得 9月 板橋事業所/リサイクルセンター開設 12月 東京証券取引所市場第二部上場 売上高100億円を達成 |
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2018 | 平成30年 | 1月 資本金8億2,773万6,875円に増資 2月 一般社団法人日本経済団体連合会(経団連)に入会 |
最後に、これからの要興業についてお話します。
現在では、売上高約119億円、収集運搬車両台数450台、従業員数807名、事業用地約11,000坪(いずれも令和4年3月末時点の連結実績)の規模を誇ります。50年前にトラック1台で始めた事業がここまで大きくなるとは、感慨深いです。
ですが、これで終わりではありません。上場して実感したのは、まだまだ業界全体の知名度が足りず、上場会社数も少ないということです。廃棄物業界は発展途上です。今後も循環型社会に貢献してまいります。
年 | 当社のあゆみ | 社会の出来事 | |
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2019 | 令和元年 | 7月 鹿浜リサイクルセンター拡張工事着工、粗大ごみ選別プラント新設 | 5月 天皇陛下が御即位、令和に改元 |
2020 | 令和2年 | 1月 新型コロナウイルス感染症 国内初確認 | |
2021 | 令和3年 | 6月 プラスチック資源循環促進法 公布 7月 東京2020オリンピック開催 |
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2022 | 令和4年 | 2月 鹿浜リサイクルセンター拡張工事竣工 4月 東京証券取引所の市場再編に伴い、スタンダード市場へ移行 |